『カウンセラー:ゆうじ』プロフィール

日向ゆうじ

1985年12月27日生まれ
大阪府・箕面市出身 / 元イベントディレクターという異色のカウンセラー


はじめまして!
心理カウンセラーの“ゆうじ”です。

数あるサイトの中から、ここにお越しくださり、
本当にありがとうございます❣

あなたは、家族や恋人など、人との深い関わりの中で悩むことはありませんか?


以前の僕は、とにかく家族との関係に悩み続けていました。
貧乏な幼少期、父親の蒸発、離婚、シングルファザーなど
様々な状況の中で、どうすればこの状況を抜けられるのかが、いつも分からなかったんです。


そんな僕が心理学を真剣に学び始めたのは、
たった7歳の息子が元嫁の元へ引っ越すことを決意し、
シングルファザー生活が終わり、一人ぼっちになってからでした。


その後、『心と人の関り』を学んだことで、起きた出来事に振り回されず、
しっかりと望む未来を見据えて、自分と大切な人の幸せをいつも思いながら、日々幸せに生きられるようになりました❣


これから、そんな僕の経験をお話しさせてもらいますね。
少し長い内容なのですが、読んでくださった方からはよく
「凄く面白かった」「いろんな気付きがありました!」と、絶賛いただいてます(笑)


お時間ある時に、ぜひ読んでみてください♪

目次

甘えたがりで無邪気な幼少期

僕は、大阪府の北の端にある“箕面市”で
空手を愛するサラリーマンの父👨
専業主婦の母👩
ちょっとやんちゃな3歳年上の兄👦と
4人家族で育ちました。


幼少期の僕は、甘えたがりで目立ちたがり。
「お名前は?」と聞かれたら「ウルトラマン❣」と答え、
レストランに行ったら、いつの間にか知らないママの膝の上に座ってる。
そんな子でした。


毎日父や母とお風呂に入りたがり、車に乗れば必ず兄の膝枕で寝て、
休みの朝は覚えたての”ピザトースト”を家族分作ってふるまう。

人懐っこく、自由奔放。
まさに、絵に描いたような末っ子でした。

家も、お弁当もない

10歳を超えたころ、僕たち家族の生活を一変させる事件が起きました。
父の勤めていた会社が倒産してしまい、
その連帯保証人になっていたことで、住む家を失ったんです。
その借金は数億円だったそうです💦


父は同時に職も失うことになりましたが、
なんとか狭いアパートに引っ越すことができて、
変わらず家族仲良く暮らしていたのですが……

生活はどんどん苦しくなっていき、
中学生の頃はもう、お弁当を学校に持っていけない状態でした。

幸い、人懐っこい僕は「おかず、一つだけ分けてくれない?」と学校中をかけまわり、
一度も話したことのない同級生や職員室の先生にまでお願いして回ることで、
割と豪華な昼食を楽しんでいました❣

だけど容赦なく、家は貧しくなっていきました。
父が立ち上げた新しい事業で、人に騙されたりもして
本当に悪循環だったみたいです。


余談ですが……
知らないホームレスの人と同じ布団で寝たり
その人にホットケーキをごちそうしてもらったこともありましたね(笑)

夫婦喧嘩の理由はいつも……

父と母はケンカが耐えなくなり、
中学3年生の頃は
包丁を突き出している母や、
目をつむってそれを受け入れようとしている父を見たこともありました……


だけど何より辛かったのは
そのケンカの内容がいつも
僕や兄の生活を守るためだったこと。

ごめんね、ごめんねって
泣きながらケンカを仲裁したこともありました。


この頃から僕は、世界がモノクロに見えてしまうようになっていました。
色が分からなくなったんです。

その後、高校に進学する直前には
僕の目の前で、父親は家を出て失踪してしまうのですが……

その時、本当に本当に悲しかった気持ちと同時に
「あぁ、よかった❣」と思ったことをよく覚えています。

「これでもう、お父さんもお母さんもケンカしなくてすむ❣」って。
少し冷たいヤツかもしれませんね(笑)

ちょっと余談:中学生のゆうじが気づいた、“人のココロ”の真実

実はその頃、ふと気づいたことがあります。
それは、「どんな人もみんな、今よりもうちょっと幸せになりたいんだ」ということ。


これに気づいた時は、これはとんでもない発見をしてしまったぞ!!と思って
仲のいい先生の所に走っていって、全力で伝えたんです❣
……ちょっとヒいてました(笑)


だけどこれは、今でも 僕の世界観のド真ん中にあります。


家を出ていった父も、抱えきれない不安やストレスを持つ母も。
平気な顔で一緒に遊んでくれる兄も、ヘラヘラ笑ってばかりの僕も。

世の中の、良いことをしている人も、悪いことをしてしまった人も、
みんな誰だって、今より幸せになるために生きてる。


だから僕は今、
貧乏や家族の不仲を経験できたことに
心から感謝しているんです✨

生きているなら、誰かの役に立っていたい

大学の進学先を選ぶ頃
「誰かの幸せにつながるだけことをして、生きていたい」とばかり考えるようになり、
京都にある大学の福祉心理学科に進学し、
「みんなの幸せを追求する」という“福祉”の理念に心躍らせながら、休みの日はイベントボランティアなどをしたりしていました。
この頃から、凄く世界が色鮮やかに見えるようになったのを、よく覚えています。


そんな生活の中でも特に、目の前でたくさんのお客さんが喜んでくれる音楽イベントの世界に惹き込まれていき、「福祉の理念を大事にしながら、イベントをしていこう!」と、小さな音楽会社に就職をしたんです。

この頃は、本当に仕事をするのが楽しかったですね!

イベントに必要なものは全部身につけてやろう!!と
企画や制作以外にも、ホームページの製作、チラシのデザイン、
音響や照明技術、映像編集やレコーディング、マーケティングなど
あらゆることに手を出しては勉強して、そのたびに「もっと役に立てる!」と自信もついていきました。


そんな風に数年過ごしていると、仕事を通して出会った人と結婚することができ、子どもも一人授かり、家族3人で幸せな生活を送ることができました。
培ったノウハウを活かして開業したイベントサポート事業も軌道に乗り、順風満帆といった感じでした。

離婚

結婚生活が7年を過ぎた頃、ある日突然価値観の違いなどを理由に離婚を申し込まれました。
よくよく話し合ったのですが、その意思は固く……
小学校へ入学間近の息子と二人で父子家庭となりました。

今思うと、僕は結婚してから甘えきっていたな、と思います。
結婚して、ケンカなく過ごしていれば、一生は幸せに過ぎていくと思っていたのかもしれません。


恋人同士のように、丁寧に関わっていなかった。
彼女を喜ばせたくて何かを贈ったり、努力したりといったことを、していなかったと思います。
仕事の愚痴ばかりを、妻に聞かせていたような気もするし
空き時間はゲームばかりしていたような気もします。
妻が新たにはじめようとした趣味や学びを、冗談のつもりとはいえ、鼻で笑ったこともあります。

そんな7年の積み重ねで、妻から見た僕たちの生活に明るい未来が見えなくなったことが、一番の理由だったのだと思います。


そして、僕と6歳の息子との2人での生活が始まりました。
離婚したことは辛かったけど、大好きな子どもが一緒にいてくれたことが、大きな心の支えだったと思います。
あの時、僕と一緒に暮らすことを選んでくれた息子と、それを受け入れてくれた妻には感謝しかありません。

シングルファザーから、一人ぼっちへ

今までイベント業は、子連れで働けたり学校の時間に合わせた生活ができるわけではなかったので、大きく方向転換をする必要がありました。新しくて斬新なビジネスをしなければ!と突っ走って、怪しい情報に踊らされて大損してしまったのも、この頃です。

僕の状況を理解してくれて、時間や勤務形態に融通を効かせてくれた知人の会社に就職しました。
しかし、その後すぐに社内での横領事件が発覚したり、その犯人として疑われたり、
いろんなトラブルが重なったことで、会社自体が三ヶ月で倒産してしまい……


更には、寂しさや不安から息子が不登校になってしまって、
次の仕事に就くこともできず、
何をやっても悪循環って感じでした。

この頃の僕は、「自分の力で変えられる事」「自分に影響はあるけれど、変えられない事」の区別がつかず、どうにもならないことにばかり目を向け、文句ばかり言っていたから、いつも「どうして僕だけ、何もかも上手くいかないだろう……」と落ち込み続けていました。
その態度を続けていた結果、実際にお金も仕事も、本当にいろいろなことが立ち行かなくなりました。


大好きな息子に対してもどんどんストレスを感じてしまって
「もっと協力してよ!」って怒ったり……
作ったご飯を「これ、美味しくない……」と食べなかっただけで怒鳴ってしまったり
そんな、子どもを委縮させてしまう生活がずっと続いていました。

アルバイトをしたり、イベント事業の依頼がきたら時々引き受けたりと、不安定な生活が2年ほど続いた頃、息子から「やっぱり、ママと暮らしたい……」と泣きながら相談されてしまいました。
僕の人生で、最も辛かった出来事です。


元妻は、何でも子どもに決めさせる人でした。
いつも「どうしたい?」「あなたは、何をやってもいいんだよ」と心から言え、
その実現のために精一杯手伝える人でした。

だからこそ息子は、たった7歳で大きな勇気をもって、「パパから離れて、ママの所へ行く」という、人生を変えるほどの決断できたんだと思います。
今振り返ると、そんな子育てをしてくれる人があの子の母親でよかったと思うし、元妻には心から感謝しています。


ただ当時の僕は……
ただただ悲しくて、悔しくて、情けなくて、ボロボロになりながら
「こんなに頑張ったのに、酷い仕打ちだ!」と思ってしまったのも事実。
「なんて余計なことを、子どもに吹き込むんだ!」と思ってしまったのも、本音です。
離婚を経験してなお、自分の幸せしか見えてなかったのかもしれませんね。


元嫁や息子本人と話し合うも、「今、息子にとっての一番の幸せってなんだろう……」と考えると答えは明確で。
悩みに悩んだ結果、息子の引っ越しを手伝うことにしました。
それから半年間ほど、息子と二人で使っていた寝室には、立ち入ることができませんでした。

アドラー心理学との出会い

一人になってしまったことで、「せめて仕事くらいは頑張ろう!」とイベントサポート事業を復活させ始めた頃に、最初のコロナショックが始まりました。
一年先まで埋まり始めていたスケジュールは、たったの3日で全てなくなり……
誰を責めることもできない状況で、自分の人生を見つめなおす日々が始まりました。


子育てやビジネス、パートナーシップ、人間関係。
どうすれば、自分にとって一番大切な人を守りながら自分も幸せに生きられるんだろう。
どうすれば、この人生の悪循環から抜け出せるんだろうと、200冊以上の自己啓発本を読み漁ったんです。

そして、大きな転機となったのが『アドラー心理学』との出会いでした。
アドラー心理学は、ただ人の心や行動を分析するだけではなく、“人と人が幸せに生きていく”という目的を持つ、温かくて優しい心理学で、人生のどん底にいた僕に、「人間はいつ、どこからでも幸せになれる」という事実をありありと教えてくれました。すごく哲学的な心理学だったんです。


学んで実践していくたびに、自分がどうしていつも悪循環の中にいたのかが分かってきました。
アドラー心理学では、人それぞれが持つ人生に対するパターンクセ態度をカウンセリングの中で分析していくのですが、予測できないトラブルが起きた時、僕はいつも“何も変わらない”というパターンを使っていました。
それは、「自分が起こしたトラブルではないのだから、僕に責任はない。僕は悪くない。だから何もしない」という受け身の行動を使って、“被害者としての自分”を主張すると同時に、相手を悪者にし続けるための態度だったことにようやく気づいたんです。


振り返ってみれば、幼少期の「生きているだけで、僕は悪い(人を困らせる)子なんだ」という思い込みから、「僕は悪くない」と意地になって主張して、何も変わらないようにするクセを身につけたのかもしれませんね。
意地になって主張するのはきっと、心の奥底では「自分が悪い」と思っていて、それを受け入れたくないからなのに……
我が身可愛さのあまり、相手を悪者にしていただなんて……


凄く子どもっぽい態度ですよね。


それがわかった途端、「そんなことじゃ自分も家族も、みんな幸せになるわけがないよな……」と、全てが腑に落ちた気がしました。
それから、自分もみんなも一緒に幸せに生きていける人生を目指す
その為にありのままの自分、不完全な自分を受け入れると決意をしました。

生き方を変えると、幸せが溢れてきた

僕はアドラー心理学に出会い、カウンセリング技術を身につけことで、毎日がどんどん充実して、明るくなっていきました。
変えられない過去の事実ばかりじゃなくて、変えられる“過去の意味”と、今から未来に流れる時間を意識して生きられるようになったことと、“カウンセリング”という丁寧なコミュニケーション方法を学んだからです。


人の心について学んだことで、相手や他人の想いを尊重し、失敗した自分をも受け入れらて、また新たな一歩を歩き続けられる、しなやかで折れない心を身につけられたんです。

おかげで今では、素晴らしいパートナーに巡り合うこともできて、パートナーの子ども2人と一緒に、4人のステップファミリーとして新たな家庭を持つことができました。

既にある家庭の一員になることは異文化交流の始まりで、決して簡単ではなく、
トラブルもたくさんあったし、これだけ大きな失敗をしてきてなお、怒ってしまうこともありました。


それでも日々、改めて「“家族であろうとする”」というコミュニケーションを探し続け、協力しあいながら暮らしてきて、今では深い信頼関係の繋がりを感じています。

パートナーにも子どもたちにも、本当に感謝しています。


僕自身の息子とはまだ和解できていないのですが、その日を目標として子育てにも真剣に向き合い、人の役に立てる大人を目指し、息子が“この人なら会いたい”と思える父親であれるよう、日々全力で生きています。

自分なりにしっかりと考え、「この道の先にこそ、そんな未来がある」と信じられる生き方だからこそ、この道を進む毎日が、今本当に幸せです。

みんなが“私は幸せになれる!”と心から思える未来へ

僕の過去や経歴は、決して褒められたものじゃありません。
息子が別れを決意して出ていってしまうほど、辛い思いをさせてしまう父親でした。


だけどそんな僕だからこそ
大切な人の関わりや、その心についてとことん考えました。
大きな失敗をして、たくさん泣いて、人生について真剣に向き合ってきました。


その失敗の経験や学びは
今、大切な人と一緒に暮らしていたり、自分の人生を生きていく中で、真剣に頑張っている人や、困っている人たちの為にあったのだと確信しています。


悩んでいると、辛いですよね
孤独を感じる時だってあると思います。

そんな時、血のつながりがなくとも
一人の家族のように、何があっても味方でいられる一人の人間として関われるように
同じ場所に共に立ち、前を向き、一歩を歩く、
そんなカウンセラーで居続けようと思っています。

そうして、『心と、人の関り』を追求し、伝えていくことで
人生はいつからでも、どこからでも幸せになれるって実感できる人が一人でも増えるように、
想いを込めて、今を生きています。


“あなた”と“あなたの大切な人”が共に幸せであれますように。


長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
もし、誰かのサポートが必要だと感じたら、いつでもご相談くださいね❣

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